視覚障害者になって3

おはようございます♪ 鍼灸師 園梨(ゆかり)です。

私は、鍼灸・按摩マッサージ指圧師の資格を取得するために 盲学校の理療課へ3年間 通いました。

私は、学生時代も社会人になってからも公共交通機関をりようしたことがありませんでした。それなのに人生の半ばまできてまさか朝のラッシュにもまれて電車通学するとは思ってもみませんでした。

でもこの年になって学生に戻って学校の帰りにモスバーガーでお茶したり、ときには餃子の王将でビールで乾杯なんてこともあってなかなか楽しかったかも。
身分は、高校生なのに学校の帰りにビールを飲んでかえるとはまったく不良学生ですよね(^^ゞ。

そんな楽しいこともあったんですが、でも実際の学校生活は大変でした。
私の勝手な思い込みですが、盲学校だから、きっとのんびりむずかしいこともなく簡単に資格がとれるんだろうなぁ・・・なんてとんでもなかったです。

入学して5月の連休明けから毎月 生理学、解剖学の試験試験で追われまくりました。それに365個もある経穴名(つぼの名前)を憶えるのもめちゃ苦労しました。
それも漢字を憶えなければいけないんです。
同じ音で違う漢字の経穴名があるためにです。

視覚障害になって活字が思うように読めず、点字がすらすらできるわけでもなく ましてや40歳になってからの暗記力のなさ、病気になってさびきった頭のさびおとしからはいらなければいけなかったんです。

私、学生のときにこんなに勉強してたらきっともっと違う人生だったかもと思うくらい 勉強しましたよ\(^-^)/
っていうかそれくらい勉強しないともとが頭悪いからおいつかないんですけどね。

毎晩8時9時に就寝。その時間になるともう体がどうにも疲れきって起きていられない。( ^.^)( -.-)( _ _)
朝3時4時起床。その時間に起きないと家事や勉強がおっつかないという生活。
試験のときには、1時2時起床で夜中に勉強するのが効率よく、私は子供も成人していたし、主人も協力的、友人が買い物してきてくれたり夕飯のおかずを届けてくれたりとみんなの手助けがあったからこそ無事資格を取得して卒業できたんだとつくづく感謝です。m(__)m アリガトォ

今、盲学校時代のことを振り返ると 本当にいろいろなことがあったことを思い出します。
2年生になると、週一回2時間外部の患者さんの按摩マッサージ治療実習が始まります。
3年生になるとほぼ毎日3時間鍼灸按摩マッサージの患者治療実習があるんですね。
私の一番の思い出は、3年生になったばかりの鍼灸実習で患者さんからクレームがでて しばらく実習停止になったときのことです。
そのとき私は何でクレームがでたのか、何がいけなかったのか、何で私だけがとか何で、何で何で何でととっても落ち込みました。
でも何で何でと考えて立ち止まっていたら一歩も進めなくなってしまいます。
そしてまたそのときになんでも解決するのは自分自身でしかないことに気がつきました。私にクレームを出した患者さんに何で?と聞いても、私を実習停止にした先生に何で?と聞いても仕方ないんですよね。
他にクレームがあっても実習停止にはならない友達がいるのは何で?と聞いても そんなことは自分自身のこととは関係ないんだと思うように考え方を変えました。

私は、それから毎日毎日朝7時に学校へ行き鍼の練習をしたんです。
その練習に 毎日付き合ってくれたM先生。本当にありがとうございました。

その練習した毎日があったから、今私は鍼灸師として看板を出しているんだぁと思っています。
もしあのまま何で?なんで?と立ち止まっていたらきっと鍼灸師になることはやめていたと思います。

私は、病気になって「変えられることは変える努力をしましょう。変えられないことはそのままうけいれましょう」といった加藤諦三さんの言葉を実践するように 心がけるようにしてとても楽になりました。
視覚障害者になったことは変えられない、人の気持ちや態度、行動は変えられない
変えられないことは受け入れ自分の気持ちは人の気持ちをかえるより楽だもん。
自分の考え方、とらえ方、見方をちょこっと変える努力をすれば先に進めることを知りました。

みなさんも、何か壁にあたったらそれが変えられることか、変えられないことか考えて、前へ進むことをお勧めします。
その際、絶対に認めたくないことを認めることが、ことを受け入れやすくなるこつです。
気楽に生きていきましょうね。(^_-)

ではまたね(;_;)/~~~

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