視覚障害者になって

こんにちは♪ 鍼灸師 園梨(ゆかり)です。

今日は、私が病気になってからのことをお話したいと思います。

私は、ベーチェット病で、視覚障害者です。
発病は、平成2年。26歳。無数の口内炎、陰部潰瘍から始まって結節性紅斑、毛嚢炎、ぶどう膜炎、腸の潰瘍、髄膜炎と次々ベーチェット病の症状華々しく?(笑い)オンパレードで毎年入院を繰り返しずいぶん痛い目にあいました。
そして今は、ほとんどの症状は落ちついいてますが、かなり視力がなくなりました。
度重なる眼底出血のため視神経がどんどん弱くなり、8年前に両眼網膜剥離になり、視覚障害者として手帳をいただくことになりました。
若干の視力は残っていますが、中心部はまったく見えず、視野が、深い霧の中にいるような状況で見えている感じ。それも視野はかけているところもところどころあり、自分がどこまでみえているのか定かでないこと、自分でもわからない。
見えているつもりで見えていないこともしばしばで、物に激突することもよくあります。
視覚障害者になって、最初の2年くらいは冬眠していたため家からはほとんどでることがありませんでした。

少しずつ外にでるようになってからも、白杖を持つことに抵抗があって、わずかな視力をたよりに歩いてました。。
そのためにとても不安な思い、危険なことにも遭遇しました。

私は、どうも見た目 他人から視覚障害者には見られないようなんです。
私が見えないことで立ち往生していても、他人は私が何に困っているのか気がつきません。
買い物へ行っても、「これは何を売っているんですか?」と尋ねると、店の人は怪訝な感じで 後からきたお客さんの対応に回ってしまったりと なんとなくさみしい気持ちになることもありました。

道を歩いていても対向から人や自転車がくることもわからずまっすぐ歩いていてぶつかりそうになり、相手はなんで自分に向かって歩いてくるんだろうと思うでしょうし
駅の階段を降りていても、登ってくる人とぶつかりそうになることもあります。
逆に階段を登っていて電車に駆け込み乗車しようとすごい勢いで階段を降りてくる人とぶつかりそうになることもありました。

私自身がぶつかるものが物ならいいけど、小さい子供やお年寄りだったりしたら本当に相手に怪我をさせてしまいます。

私が視覚障害者とは知らない人にとって私の行動は予想もつくはずがありません。

そんなことを反省しつつ、白状を持つことで自分や他人の身を守り、また自分自身の不安を解消して相手に自分が視覚障害者ですとお知らせする意味で白杖はとても役立つ魔法の杖だと思うことで気持ちを切り替えました。

今では、白杖を前にだし、人に物を尋ねるときは白杖を少し上に持ち上げ自分が視覚障害者であることをアピールしています。(笑

そして最近私が思うことは、視力が人より劣っている分、人の心がよくも悪くも見えるようになってきたんではないかと・・・。

それは、視覚という先入観を取り除いて声とみえないオーラとでも言うんでしょうか???純粋なその人を観察できるような感じ。

人は、見た目がきれいな人や素敵な人にだまされやすいものではないでしょうか?
また見た目でその人のイメージを勝手に自分で決めてしまったり。

でもその相手の顔がみえなかったら、声と伝わってくる雰囲気だけで相手を感じ、余分な先入観を排除して そのままの人を感じることができるんです。

たぶん、私は視覚障害者にならなかったら 本当の人の心を見極めたり、察したりできない人になっていたと思います。

そういう意味で、神様は、公平なんだなぁと思っています。

私、人生は絶対にプラスマイナス0だと思っているんです。
人生、一生のうちで、幸せなことも不幸なことも、いいことも悪いこともどこかで帳尻が合うようにプラスマイナス0になるように神様は公平なんだって。

ただいいことも悪いことも自分の感じ方でどのくらいのゲージで評価するかはその人それぞれです。
いずれにしても、生まれて生きている間、死ぬまで生きていないといけないんだから、あまり波風なく穏やかに生きていきたいと願っています。

ではまたね。

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