視覚障害者になって②

おはようございます♪ 鍼灸師 園梨(ゆかり)です。

今日は、私がなぜ鍼灸師になったかをお話したいと思います。

前回のブログでお話したように、視覚障害者になって2年ほど 私は冬眠していました( ^.^)( -.-)( _ _)。
家の中で毎日寝たり起きたり一日中化粧もろくにせず ただラジオを聴いたり、録音図書お聴くしか楽しみもなく、当時は、携帯メールも音声対応のは あったんだかんだか パソコンの音声ソフトがあることも知らないし、外界との連絡ツールとしてみんながメールを使ってコミュニケーションをとっているのに、私にはそれができない世間から取り残されたと またまたとても悲しかったことを思い出します。
録音図書があることを知る前は、毎晩主人が枕元で本を読んでくれました。
主人は、普段、車の雑誌しか読まないような人で、1ページ活字を読んだら眠くなってしまいます(..;)。
でもなにか自分が私にしてやれることはと一生懸命毎晩本を読んでくれたんです。
そのうち録音図書の存在を知って昼間も私は、いろいろな本を読むことができたし、主人もお役ごめんになって私以上に喜んだと思います( ^)o(^ )
 
だんだんと音声ソフトを使ってパソコンができるようになり 携帯メールも音声対応のを購入して インターネットやメールもできるようになり、録音図書を聴いていろいろな本を読むようになって昼間の家での過ごし方に変化と向上がでてきました。

毎日家で過ごしている間 特に体が疲れるようなことをするわけでもないのに体調が安定しない私は、視力のせいもあるのか頸肩のこりがひどく頭痛もしばしばで、とにかく背中がカチカチに固まっている状態でした。
そんな時、義母の所有するアパートの店舗に整体が入居したのをきっかけにそこの整体で体をもんでもらったんです。
するとすごく体が軽くなりそれから毎日3ヶ月そこへ通いました。
体が軽くなると気持ちも軽くなり、私もこういう仕事がしたいなぁ。こういう仕事ならできるんではないかと思い始めたんです。

毎日主人をはじめ、家族や友達は、本当に私にやさしくしてくれます。
でも障害者になったことでいつもいつも甘えてばかりいたら きっとこの先 友達や家族の気持ちを当たり前と思い 感謝のきもちがなくなるんではないか、周囲の人も段々にどこまで甘えるんだ、こんなにしてあげてるのにと私に嫌気がさしてくるんではないかと考え始めました。
とにかく死ぬまでは生きていなければいけないのだから 人に頼ってばかりではなく何か自立して少しでも誰かの役にたてるようしていかなければと思ったとき やっぱり鍼灸按摩の仕事は、今の私にぴったりと確信したんです。
そして盲学校の理療課へ入学することを決めました。

それから半年間神奈川県総合リハビリセンター七沢ライトホームという訓練施設に ガイドヘルパーを伴って通い、そこで歩行訓練、点字、家事訓練、そして盲学校へ入学するための受験準備をしたんです。

七沢へ通ったおかげで単独歩行もできるようになったし、家事もそれなりに目が不自由でもこんな工夫があるんだと知ることができて楽になったし、なによりこれから3年間盲学校へ通うリハビリになったことは、すごい進歩でした。

こうやって少しずつ視覚障害者になってそのことを周囲の人に支えられながら受け入れられるようになったんです。

本当にありがとう。

ではまたね。(;_;)/~~~

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